チンギス・ハーンのもとでモンゴル帝国の建国に腐心し、比肩する者の無いほどの大功をあげたムカリ。
チンギスの側近・四駿の筆頭格でもあり、後に「国王」の称号を賜ったのです。

もとはムカリは、その父に連れられ
「汝の戸口の奴となさん。汝の門の近習とならん。」
という言葉とともにチンギスに差し出されたのでした。
チンギスの少年時代から友人として仕えたボオルチュに並ぶほどの寵愛を受け、ともに左翼、右翼の万戸長に任ぜられ「今、我が信任する寵臣は、ボオルチュ・ムカリ汝ら二人なるぞ。」
とチンギスに言わしめたほどでありました。

チンギスは西夏国討伐に大いに力を注いでいましたが、その裏で東方・対金戦線にはこのムカリを当てその総指揮を一任していたために、自身は西夏戦に集中できていたと言われています。

ムカリはその期待に大いにこたえ、また対金戦では無駄な殺人は禁じ、人口不足に悩むモンゴル国の労働力の確保にも努めていました。