清代に大規模な宗教決起を起こした人物・洪秀全です。
もとの名は洪仁坤または洪火秀(1812.1.10〜1864.6.1)。

もとは科挙の受験生でしたが、郷試に失敗し高熱を出して病床につきます。そこで彼は夢の中で老人に会い、老人から自分は現世の妖魔を取り除くべく派遣されたのだと言われます。
のちに再度、郷試にのぞみますがまたもや落第。そこで彼はキリスト教の中国向けの普及冊子「勧世良言」に出会います。それを自己の解釈で読み解き、拝上帝教という教えを説き始めます。
彼は自分をヤハウェ(エホバ)の子で、キリストの弟であると自称し、全ての男女は平等であると説きます。

そうして布教活動をおこない人を集めると「拝上帝会」と自らの団体を呼び、やがて「太平天国」と国号を名乗るに至ります。もちろんこれは清朝への反旗と言うことになりますので弾圧を受けるのですが、アヘン戦争直後のため朝廷の力は弱く、また各地に匪賊が多くいたことも太平天国に幸いしました。匪賊を吸収し軍力を強めることが出来たからです。
そしてついには太平天国軍は南京を陥落させ、その地を天京と改名しました。

やがて太平天国は幹部であった楊秀清粛清をきっかけとする内紛が始まり、指導部が大きく変わりました。
その後もまだしばらくは命脈を保ちますがやがて各地で太平天国軍は敗北を喫します。もともと南方で起こった乱で、軍も南方人が多く、北上していくにつれて気候風土の違いから体調を崩していったことや、略奪を固く禁じていたはずの太平天国軍が食に困り略奪を始めたために民衆の支持を失ったことなどが理由としてあります。

最終的に天京(南京)は孤立、飢餓状態の中で洪秀全自身も雑草を口にするというほど追い詰められ、体調を崩しそのまま他界しました。


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