金国(女真族)の猛攻から南宋国を守り抜いた名将たちを「抗金名将」と呼びます。
この呉カイ(字は晋卿)・呉リン(字は唐卿)は兄弟にして揃ってその名を残した名将です。

二人は四川の地を鎮守していました。
呉兄弟の活躍が特にめざましかったのは、西暦1131年の和尚原の会戦でした。
金の四太子・宗弼が十万の軍を持って侵攻して来たのに対し、蜀の地の険しい地勢と火計を以ってこれを大いに破ったのでした。
この敗戦時に
「宗弼は逃走する時に自らの髭を切り落として
容貌を変えた」
という話まで出来たほどでした。
三国志演義の、馬超から逃れる時の曹操の話の
原型の様ですね。

呉カイは四十代の半ばから好色になり、美女を集める一方で色々な精力剤を服するようになったらしいです。
そして1139年に47歳で早過ぎる死を迎えました。

呉リンはその後、抗金名将を次々と粛清していく秦檜が独裁状態に有る朝廷を畏れ、四川の地にとどまり金国を牽制し続けたのでした。

「抗金名将」と言えば、岳飛・宗沢・韓世忠・劉リ、そして呉兄弟あたりをさすようですが、呉リンがこの中では一番ながく生きて(まぁ年齢的なものも有りますが)1167年に66歳でその生涯を終えました。