秦の始皇帝の没後、大帝国に対して反乱を起こした二人の農民。陳勝と呉広。

二人は九百人の農民と辺境地方の守備の任務に向かう途中で大雨にあってしまい、計算すると期日までに任地に着く事は不可能だとわかりました。
苛烈な事で知られる秦の法律では死刑になるのは目に見えていました。
そこで二人は一隊の引率の役人を殺し、九百人の農民を率いて秦に反乱を起こすことを決意したのです。
これに呼応するかたちで、国内各地では反秦の兵が挙がりました。
陳勝も一時期は王を名乗るにまで到りましたが、秦の精鋭軍が掃討にあたり、あえなく崩壊。
挙兵からその死までわずか半年でした。
しかし陳勝の蜂起があってこそ、漢帝国建国に繋がったと、劉邦も考えて陳勝の墓には供え物と塚守を置くようにしたといいます。

このイラストは当サイトの24代目TOPイラストとして使用しました。
手前が陳勝、奥が呉広です。