南宋三傑のおひとり、文天祥(字:宋瑞または履善)です。(1286〜1282)

20歳の時に科挙に状元にて及第(主席合格)しました。
元軍が南下してきた際には、私財をなげうって兵を募り抗戦の姿勢を見せるものの和平派に抑えられてしまいました。
のち右丞相に任ぜられ、交渉の使者として元軍の陣営に赴きますがそこで抑留されてしまいます。
なんとか元陣営を脱出し軍をととのえゲリラ戦を2年ほど展開しますが、またも捕虜になってしまいます。

そのまま結局、元軍に捕らえられたまま眼前で南宋の滅亡を見ることになります。
で、文天祥をいたく気に入った(南宋滅亡後の支配用官僚として役に立つと思ったから?)
フビライ・ハーンに何度も登用勧告を受けますが、敢然と拒否。
三年ものあいだ獄につながれた末に、希望通り処刑されました。
身をもって忠誠の何たるかを示した人物と言えるのではないでしょうか。

ちなみに張世傑・陸秀夫の二人とで「南宋三傑」と呼ばれます